読んでいない本について堂々と語る方法
メモとか感想序1 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)ぜんぜん読んだことのない本ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本人から聞いたことがある本読んだことはあるが忘れてしまった本2 どんな状況でコメントするのか大勢の人の前で教師の面前で作家を前にして愛する人の前で3 心がまえ気後れしない自分の考えを押しつける本をでっち上げる自分自身について語る結び
メモとか感想
序
- 作者は大学で文学を教えているから、本について話す機会が多い
- 社会では、読むべき本を読んでいることや、通読していることが規範とされている
- 読書の偽善的態度を生み出し、人々は読んでない本を読んだと嘘をつく
- むしろ本を読んでいない方がいい場合もある
- テクストとの出会いは「読んでいない」と「読んだ」の間に位置づけられる
- 読むという行為の本質とは
- 本書では言及する本について「どの程度読んだか」と「よかったか」を記号で示す
- 読んでいない本についても評価はくだせる
- 書物との関係は連続的で均質的なプロセスではなく、切れ切れの思い出が付きまとう漠とした空間
1 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)
ぜんぜん読んだことのない本
- 全出版物を対象について考えると、基本的なスタンスとなる
- ムージルの司書は図書館の本を1冊も読まない
- 全体を把握するために目次だけを読む
- 読んでしまうと踏み込んでしまい全体をみれない
- 書物の中の連絡や接続が大切で、その位置関係を知っていることが教養である
ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
- ヴァレリーはスピーチの中で一度も内容について触れず、外郭のみを語った
- 本を読んでいくと考え方や文章が凡庸になっていく
人から聞いたことがある本
- エーコの『薔薇の名前』は一冊の本の内容を巡った物語
- 主人公は最終的に直接本を読まずに内容を知ることになる
- 推理の過程で、何度も誤った結論を出しているし、最終的な結論も正しいとは言い切れない
- 話題にする書物は「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」であり、個々人の解釈によって歪められる
読んだことはあるが忘れてしまった本
- 本は読み始めた瞬間から忘れていく
- 読んだかどうかも思い出せない本は「読んだ」と言えるのか
- 残るのは自分の判断力で有益だと思ったもので、どの本に書いてあるかどうかは重要じゃない
- モンテーニュは、内容を忘れた本を、当時の自分のコメントをもとに言及していて、他者と自身の区別、読んだか読んでないかの区別をしていなかった
2 どんな状況でコメントするのか
大勢の人の前で
- 発言は全て正当である前提で解釈される
- 往々にして「耳の聞こえないもの同士の対話」である
- 全員が本を読んでいたとしても、話題にされるのは断片的な再構築された書物である
教師の面前で
- 亡霊の概念を持たないティヴ族はハムレットの亡霊を受け入れないが、物語の中の家族や死者のありかたについての表象に適合する
- 神話的、集団的、個人的な表象の総体である「内なる書物」は読む前から出来上がっている
作家を前にして
- 内なる書物は人によって違うので、仔細に話すほど認識の乖離が明らかになる
愛する人の前で
- 映画『グラウンドホッグ・デイ』ではループの中で好きな人と内なる書籍を重ねる作業をするが、現実では不可能